大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

青森地方裁判所 平成元年(ワ)158号 判決 1992年12月08日

原告

甲野太郎

甲野春子

右両名訴訟代理人弁護士

二葉宏夫

右訴訟復代理人弁護士

小田切達

被告

青森市

右代表者市長

佐々木誠造

右訴訟代理人弁護士

加藤済仁

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、各金一五〇五万八四〇三円及び各内金一三七〇万八四〇三円に対する昭和六三年四月八日から、各内金一三五万円に対する本訴判決言渡しの日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事案の経緯

(一) 原告らは、甲野一郎(以下「一郎」という。)の父母であり、被告は、青森市民病院(以下「被告病院」という。)を設置経営している。

(二) 一郎は、昭和六三年四月四日午前一〇時二六分、被告病院産婦人科で出生した。出生時の体重は二二九〇グラムであった。一郎は、出生後ただちに被告病院新生児室に移され、保育器に収容されて保育されていた。

(三) 一郎は、同月六日ごろから黄疸症状が出現したため、同日から保育器内で光線療法の治療を受けていた。

(四) 原告甲野春子(以下「原告春子」という。)は、同月七日午後一時三〇分ころから午後二時三〇分ころまでの間、新生児室隣室の授乳室で、一郎に対し、母乳二五CC及びミルク五CCを飲ませた後、排気(げっぷ)を試みたが排気がなかった。そこで、原告春子は、新生児室担当の助産婦佐々木チエ(以下「佐々木助産婦」という。)に対し、排気がなかった旨伝えた上、一郎を佐々木助産婦に手渡した。佐々木助産婦も一郎に対して排気を試みたが排気がなく、午後二時四〇分に一郎に対しミルク一〇CCを追加して飲ませた後、再度排気を試みたが排気はなかった。その後、佐々木助産婦は、一郎を仰臥位で保育器に収容し、光線療法を再開した。

(五) 原告春子が、同日午後四時三〇分ころ授乳のため授乳室に入り、保育器内の一郎を見たところ、一郎は仰臥位でぐったりとした状態であり、体の色は青白い感じであり、アイマスクが鼻を被い、おむつが下の方に下がっていた。

(六) 佐々木助産婦は、同日午後四時三五分に一郎の保育器に近付き一郎を保育器から取り出そうとした際一郎の異常に気づき、一郎を保育器から取り出したところ、一郎が呼吸をしていなかったためインファントウォーマー(開放式新生児輻射熱保温ベッド)で酸素投与と吸引を行ったところ、大量のミルクが排出された。その後、被告病院産婦人科医師奥山敏夫(以下「奥山医師」という。)が到着し、一郎に対し心臓マッサージを行った。

(七) 同日午後四時四八分に、被告病院小児科医師千葉力(以下「千葉医師」という。)が新生児室に到着し、一郎に対し気管内チューブを挿管し気管内吸引カテーテルを用いて気管内吸引を行ったところ、ミルクが吸引された。右吸引後、午後四時五〇分から、千葉医師は、一郎に対して心臓マッサージと気管カテーテルからの酸素投与を行った。午後四時五八分に一郎の心拍が回復したので、千葉医師は、再度の気管内吸引を施行したが、ミルクは吸引されなかった。そして、午後五時三分に一郎は、被告病院小児科の新生児集中治療室(NICU)に送られ、緊急入院した。

一郎は、NICUにおいて人工呼吸器に接続され、また、別表2記載のとおり気管吸引と鼻口腔吸引が行われた。原告らは、同日午後七時一〇分、奥山医師と千葉医師から、一郎の病状につき、死亡する可能性が高く、また生存しても重大な後遺症が残ると告げられた。そこで、原告らは、一郎の人工呼吸器を外すことを求め、同日午後七時二〇分ころ、一郎の人工呼吸器が外され、同日午後九時五分に一郎は死亡した。

2  一郎の死亡原因

一郎の直接の死因は、脳浮腫であり、その原因は虚血性・低酸素性脳症であるが、一郎が虚血性・低酸素性脳症に陥った原因は、一郎が、嘔吐したミルクを誤飲し、これにより気管が閉塞し、窒息したことである。

3  被告の責任

(一) 債務不履行責任

(1) 一郎は、出生と同時に、被告病院と、出生後の身体の管理、保育、疾患の診断及び治療を目的とする準委任契約(以下「本件医療契約」という。)を締結した。

(2) 被告病院新生児室の医師や看護婦(助産婦)らは、被告の履行補助者として、本件医療契約に従い、新生児室内における乳児を常に監視し事故等の発生を未然に防止すべき注意義務がある。また、新生児室の医師や看護婦らは、乳児に授乳した後は十分に排気させ、嘔吐等による吐出物等が気管を閉塞し、窒息による事故等が発生するのを未然に防止し、さらに授乳後このような事故が発生した場合直ちに適切な処置を講じうるよう特に注視すべき義務がある。

(3) 昭和六三年四月七日当時、被告病院産婦人科病棟新生児室に収容されている乳児数は著しく多く、通常の人員配置では、収容されている全乳児に対して十分な看護保育を行うことが不可能な状況にあったので、被告病院院長、同産婦人科責任者奥山医師及び同産婦人科婦長は、新生児室に配置される看護婦・助産婦を適宜増員し、その管理下にある乳児の看護保育に十全を期すべき義務がある。

(4) ところが、新生児室の医師や看護婦らは、一郎に対し授乳後十分な排気をさせず、しかも、その後の注視を怠り、また、被告病院院長らは、通常の人員配置で対処しようとして一郎に対する看護保育が不十分であったため、一郎はミルクを嘔吐しその吐出物が気管を閉塞して窒息状態になり、その発見が遅れた過失により、呼吸停止、心停止に陥って死亡したものであるから、被告は、債務不履行に基づく損害を賠償する責任がある。

(二) 不法行為責任

(1) 被告病院産婦人科新生児室の医師及び看護婦らは、被告の被用者である。

(2) 被告病院新生児室に収容されている乳児は、新生児室の医師や看護婦らの監視下にあり、したがって、同室の医師や看護婦らは、被告の業務として、新生児室内における乳児を常に監視し事故等の発生を未然に防止すべき注意義務がある。したがって、乳児に授乳した後は十分に排気させ、嘔吐等による吐出物等が気管を閉塞し、窒息による事故等が発生するのを未然に防止し、さらに授乳後このような事故が発生した場合直ちに適切な処置を講じうるよう特に注視すべき義務がある。

(3) (一)の(3)と同じ。

(4) ところが、新生児室の医師や看護婦らは、一郎に対し授乳後十分な排気をさせず、しかも、その後の注視を怠り、また被告病院院長らは、通常の人員配置で対処しようとして一郎に対する看護保育が不十分であったため、一郎はミルクを嘔吐しその吐出物が気管を閉塞して窒息状態になり、その発見が遅れた過失により、呼吸停止、心停止に陥って死亡したものであるから、被告は民法七一五条により使用者として不法行為に基づく損害を賠償する責任がある。

4  損害

(一) 一郎の損害

(1) 逸失利益 金一五四一万六八〇七円

一郎は、昭和六三年四月四日生まれの男児であり、その稼働年数は、満一八歳から満六七歳までの四九年である。一八歳から一九歳の男子労働者の平均賃金は、年額一八七万七九〇〇円であり(賃金センサス昭和六一年)、右金額から生活費五〇パーセントを差し引くと、金九三万八九五〇円となる。これにホフマン式計算方法(係数16.4192)により年五分の割合による中間利息を控除した金一五四一万六八〇七円が一郎の逸失利益である。

(2) 慰謝料 金六〇〇万円

(3) 原告らは、一郎の死亡により右逸失利益と慰謝料の合計額である金二一四一万六八〇七円を各二分の一ずつ相続した。

(二) 原告らの損害

(1) 慰謝料 各金三〇〇万円

(2) 弁護士費用 各金一三五万円

よって、原告らは、被告に対し、債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償として、それぞれ金一五〇五万八四〇三円及び内金一三七〇万八四〇三円に対する昭和六三年四月八日から、内金一三五万円に対する本訴判決言渡しの日の翌日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(事案の経緯)(一)、(二)の事実は認める。

2  同(三)の事実のうち、一郎に昭和六三年四月六日(出生三日後)ころから黄疸症状が出現したことは否認し、その余の事実は認める。

3  同(四)の事実のうち、佐々木助産婦が、一郎に対しミルク一〇CCを追加して飲ませた後、再度排気を試みたが排気はなかったことは否認し、その余の事実は認める。佐々木助産婦が再度排気を試みたところ排気が少量認められている。

4  同(五)の事実のうち、原告春子が授乳室に入ったことは認め、その余の事実は否認する。

5  同(六)の事実のうち、ミルクが大量に排出されたことは否認し、その余の事実は認める。

6  同(七)の事実は認める。なお、千葉医師の最初の気管内吸引によるミルクの吸引量は少しであった。

7  同2(一郎の死亡原因)の事実は争う。一郎が、呼吸停止・心停止に陥ったのは、いわゆる乳幼児突然死症候群(SIDS)による可能性が強い。

8  同3(被告の責任)の主張については争う。新生児の多くは、適切な管理と観察を必要としても、病児として扱われることはない。一郎も、経過は順調で、特に異常な所見は認められていなかった。原告らの主張する注意義務を果たすためには、新生児室の医師や看護婦(助産婦)らは、二四時間新生児室にいる新生児一人一人について一瞬たりとも目を離さず、しかも、蘇生措置に必要な医療器具等を自分のもとに肌身離さず用意していなければならないことになるが、このようなことは現実には到底無理である。原告らの右主張は、現実離れの主張であって、被告に結果責任を負わせるものであるから、到底理由がない。被告病院の新生児の診療態勢、看護態勢は、被告病院と同規模の病院のものと比べて勝るとも劣らないものである。

9  同4(損害)の主張については争う。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者間に争いのない事実

請求原因1(事案の経緯)(一)、(二)の事実、同(三)の事実のうち、一郎が、昭和六三年四月六日から被告病院新生児室の保育器内で光線療法の治療を受けたこと、同(四)の事実のうち、原告春子が、同月七日午後一時三〇分ころから午後二時三〇分ころまでの間、新生児室隣室の授乳室で、一郎に対し、母乳二五CC及びミルク五CCを飲ませた後、排気を試みたが排気がなかったため、新生児室担当の佐々木助産婦に対し、排気がなかった旨伝えた上、一郎を佐々木助産婦に手渡し、佐々木助産婦も一郎に対して排気を試みたが排気がなく、午後二時四〇分に一郎に対しミルク一〇CCを追加して飲ませた後、再度排気を試み、その後、一郎を仰臥位で保育器に収容し、光線療法を再開したこと、同(五)の事実のうち、原告春子が、授乳のため授乳室に入ったこと、同(六)の事実のうち、佐々木助産婦は、同日午後四時三五分に一郎の保育器に近付き一郎を保育器から取り出そうとした際に一郎の異常に気づき、一郎を保育器から取り出したところ、一郎が呼吸をしていなかったためインファントウォーマーで酸素投与と吸引を行ったこと、その後、奥山医師が到着し、一郎に対し心臓マッサージを行ったこと及び同(七)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、一郎の死亡原因(請求原因2)が、原告ら主張のとおり、一郎が、嘔吐したミルクを誤飲し、これにより気管が閉塞し、窒息したためであるか否かについて検討する。

1  右当事者間に争いのない事実、<書証番号略>、証人奥山敏夫、同佐々木チエ(一部)、同千葉力の各証言及び原告春子本人尋問の結果(一部)によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  一郎は、昭和六三年四月四日午前一〇時二六分、被告病院産婦人科で出生した。妊娠期間は三六週と三日であり、出生時の体重は二二九〇グラムであった。午前一〇時四五分に一郎を新生児室コット(小児用ベット)に収容したが、四肢の軽度冷感、チアノーゼが認められたため、午前一一時三〇分に保育器に収容したところ、その後、軽度冷感、チアノーゼとも消失した。午後七時三〇分、五パーセントの濃度の糖水二〇CCを哺乳させたところ、哺乳力は良好であった。

(二)  被告病院においては、体重が二〇〇〇グラム未満の新生児は、小児科の新生児集中治療室(NICU)に収容することになっていた。産婦人科担当の浜田医師は、一郎の出生時の体重が二二九〇グラムと軽量であったことから、一応NICU担当の千葉医師と相談したが、特に異常はなく、体重も二〇〇〇グラム以上あったので、普通の産婦人科新生児室に収容することになった。

(三)  同月五日から、午前一時三〇分を初回として三時間おきにミルクの哺乳を開始し、同日午前一〇時三〇分の授乳時間から、まず母乳を哺乳させた後にミルクを哺乳させることとした。同日及び翌六日の一郎の哺乳量は別表1記載のとおりである。各哺乳の際の哺乳力は良好で、嘔吐は認められなかった。

(四)  一郎は、同月六日午前七時三〇分に保育器からコットに移されたが、血液検査の結果、総ビリルビン値が11.4グラム/リットルで、新生児にとって生理的なものではあるが、黄疸の症状が認められたため、保育器に移して、その治療のための光線療法を開始した。

(五)  同月七日午前一時三〇分、同四時三〇分及び同七時三〇分の一郎の哺乳量は別表1記載のとおりである。

(六)  同日の午前八時三〇分からは、被告病院産婦人科の佐々木助産婦と浦しのぶ助産婦(以下「浦助産婦」という。なお、両助産婦とも看護婦資格を有している。)が新生児室の担当となった。佐々木助産婦が、勤務開始にあたって申し送りを受けた際に、格別一郎に関する申し送りはなかったが、申し送り後一郎の沐浴をしたところ、一郎は、沐浴してもほとんど泣かず、やや元気がないと感じられた。その後、午前一〇時三〇分から授乳が行われたが、その時の一郎の哺乳量は別表1記載のとおりであった。その際に原告春子から、一郎の状態について特に話はなかった。授乳が終わった後、佐々木助産婦は、一郎を保育器に戻して光線療法を開始したが、特に異常はなく、また、午前一一時三〇分に奥山医師が回診した時も、一郎は哺乳力が少し弱かったものの他に特に異常はなかった。

(七)  同日午後一時ころ、佐々木助産婦が一郎の様子を見たところ、一郎は睡眠中であり、特に異常は認められなかった。午後一時三〇分の授乳時間の一郎の哺乳量は別表1記載のとおりであるが、午後二時三〇分ころ、原告春子は佐々木助産婦に対し、一郎の排気がなかった旨話をして一郎を佐々木助産婦に手渡し、佐々木助産婦は、一郎を他の新生児の授乳が終わるまで、頭部がやや高くなっているコットに入れて様子を見た。そして、再び保育器に入れて光線療法を開始する前に一郎を胸に抱いて背中をさすり、あるいは頭を肩のところに乗せて背中を軽くたたいて排気をさせようとしたが、排気はなかった。そこで、佐々木助産婦は、一郎が同日午前一〇時三〇分の授乳の時には約五〇CC飲んだので、もう少しミルクを飲ませてみようと考え、午後二時四〇分ころ授乳したところ一郎は約一〇CC飲んだ。そして、その後、再度排気させようと試みたが排気をしなかったため、そのまま一郎を保育器に入れ、アイマスクをつけた上、仰臥位の状態で光線療法を再開した。

(八)  同日午後三時ころ、浦助産婦が検温のため一郎の様子を見たところ、特に異常はなかった。また、午後四時一〇分ころ、小児科の武部医師が産婦人科新生児室にいた新生児の診察のために訪れた際に、佐々木助産婦が一郎の様子をみたが、眠っている様子であり特に異常を感じなかった。

(九)  ところが、同日午後四時三五分に佐々木助産婦が授乳のため一郎を保育器から出そうとして一郎の様子を見たところ、一郎は、ぐったりして、胸の辺りから足の方にかけてチアノーゼが認められ、また、アイマスクは少しずれて鼻の上に被っており、おむつは下にさがっていた(以下「本件事故」という。)。そこで、佐々木助産婦は、すぐに一郎を保育器から取り出して、同室の吸引処置の器具のあるところで吸引しようとしたところ、一郎が呼吸していなかったので、大声で医師を呼ぶようにナースステーションにいた他の看護婦に伝えるとともに、分娩室内に備え付けられていたインファントウォーマーへ一郎を抱いて連れて行き、すぐに付属のデマンドバルブという器具で酸素を投与した。また太田看護婦が一郎の鼻からフィーディングチューブという器具で吸引をしたところ多量のミルクが吸引された。その後、奥山医師が駆け付けて聴診したところ心音を聴取できなかったことから、心臓マッサージを開始した。そして、同日午後四時四八分に千葉医師が小児科の新生児集中治療室(NICU)から駆け付け、直ちに聴診したが、心音を聴取できず、また呼吸も停止していたことから、気道を確保するために喉頭鏡で喉頭蓋及び喉頭入口部を診たがミルク等は認めなかった。それから、気管カテーテルを気管に挿管し、気管吸引カテーテルを用いて吸引を開始したところ、ミルクと思われる分泌物が吸引されたが、その量はそれほど多いものではなかった。その後、同日午後四時五〇分から千葉医師は、一郎に対し心臓マッサージと気管カテーテルからの酸素投与を交互に行った。そして、同日午後四時五八分には、一郎の心拍数は、一分間に一〇〇以上となったので、NICUへ移送することとし、再度気管内吸引を施行した上(このときは、ミルクは吸引されなかった)、同日午後五時五分に簡易型搬送用保育器に一郎を収容してNICUへ移送した。

(一〇)  NICUにおいては、鼻口腔吸引と気管吸引が行われ、同日午後五時五分から午後七時までの吸引量は、別表2記載のとおりである。同日午後五時二五分に一郎に人工呼吸器が接続された。同日午後七時一〇分に、千葉医師は、原告らに対し、一郎の病状につき、死亡する可能性が高く、また生存しても重大な後遺症が残ると告げたところ、原告らは、一郎の人工呼吸器を外すことを求めたため、同日午後七時一五分ころ、一郎の人工呼吸器は外され、同日午後九時五分に一郎は死亡した。

(一一)  一郎の死亡後、千葉医師は、父親の甲野太郎に対し、一郎の解剖をさせてもらえないかと話したが、そのまま連れて帰りたいということで一郎の解剖は行われなかった。

以上の事実が認められ、証人佐々木チエ及び原告春子本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は前掲証拠と対比してにわかに採用することができず、その他、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  なお、右認定事実のうち、昭和六三年四月七日午後二時四〇分ころに、佐々木助産婦が一郎にミルク一〇CCを飲ませた後、一郎が排気をしたか否かの点につき、被告は、少量の排気があったと主張し、<書証番号略>には「排気少量  にて」との記載があり、また証人佐々木チエも被告の右主張に沿う供述をするが、証人千葉力の証言によれば、千葉医師は新生児室で治療にあたった際排気はなかったらしいと聞いたことが認められ、同医師作成の家族指導記録<書証番号略>にもその旨の記載があり、<書証番号略>(看護日誌)の右記載部分の「排気少量」と「にて」との間には三文字分ほどの表面を削って消した跡があり、この部分は佐々木助産婦が一度記述した部分を後に抹消して「排気」の右側に「少量」を書き加えたものと認められるところ、その点について、同人は、うそ字を書いたので砂ゴムで削って抹消して書き直した旨証言している。同人が抹消した文字がどのような文字であったかは、<書証番号略>自体からは不明であるが、抹消された文字を「少量」のうそ字とすると、少量という簡易な漢字にうそ字を書くということはあまり考えられないことであり、仮にうそ字を書いたとすれば、抹消した部分の上に少量と記載すれば足りるはずであるのに、抹消部分はそのままにして、排気のあとに付け加えるように少量と記載することは不自然であり、<書証番号略>のうち右記載部分に関する証人佐々木チエの右証言はにわかに信用することができない。

そうすると、<書証番号略>の「排気少量  にて」の抹消部分には、当初は被告に不利な内容が記載されていたものと推認され、これに、千葉医師が一郎の排気はなかったらしいと聞いていたことを考慮すると、右認定のとおり、同日午後二時四〇分の授乳の際には一郎の排気は確認されなかったと認定するのが相当である。

3(一)  以上認定の事実から、本件事故の原因についてみると、一郎は、昭和六三年四月七日午後一時三〇分の授乳の際に排気をせず、午後二時四〇分の授乳の際にも排気をしなかったこと、本件事故発生時に一郎は仰臥位の状態であったこと、本件事故発生後、太田看護婦が一郎の鼻からフィーディングチューブで吸引をしたところ多量のミルクを吸引されたこと、千葉医師が一郎に気管カテーテルで吸引したところ、量的にはそれほど多いものではなかったがミルクと思われる分泌物が吸引されたこと、新生児集中治療室(NICU)における一郎に対する鼻口腔吸引と気管吸引の結果は別表2記載のとおりであり、これに加え、千葉医師も退院要約<書証番号略>において逆流したミルクを肺の方に吸引した可能性がある旨記載していることからすれば、本件事故の原因は一郎がミルクを嘔吐し、その吐出物が気管を閉塞したことによる窒息であると考える余地もある。

(二)  しかしながら、本件事故の原因を右のように認定するには、次のような疑問がある。

まず、乳幼児の場合、排気をしないと吐乳する可能性が排気をした場合に比べればいくらか高くなるものの、排気のない場合に必ず吐乳をするというものではない(証人千葉力の証言)。しかも、本件の場合、最後の授乳時(午後二時四〇分ころ)から本件事故時(午後四時三〇分ころ)までの間約一時間五〇分が経過していることからすれば、仮に吐乳があったとしても、排気がなかったことがその原因であるとは直ちに考え難い。次に、乳児が吐乳した場合には、溢乳し乳児の口鼻周辺や枕辺りにミルクの付着が認められるのが通常であるところ、本件事故当時、一郎の口鼻周辺や枕辺りにミルクが付着していたことを窺わせる形跡はなかった(証人千葉力、同佐々木チエの各証言)。また、吐いたミルクを気管に誤飲しそうになれば、防御機構が働き反射的にこれを止めようとするから、誤飲の可能性自体低いし、誤飲した場合には乳児は暴れたりするなどの不穏な体動を示し(証人千葉力の証言)、新生児室にいる助産婦が気付くはずである(証人佐々木チエの証言)のに、本件においては一郎にそのような異常な体動は認められなかったことからすれば、ミルクの誤飲というには疑問がある。さらに、一郎のアイマスクがずれ、おむつが下にさがっていたことについては、そのようなことは、普段の乳児の行動の中でもありうることであるから、右の事実をもって異常な事態が発生したと認めるには足りない。

次に、本件事故発生後、太田看護婦が一郎の鼻からフィーディングチューブで吸引をしたところ多量のミルクが吸引されてはいるが、その量が具体的にどの程度の量であったかは明らかでない上、フィーディングチューブが気管に入ることはまずない(証人千葉力の証言)から、吸引された右ミルクは、鼻口腔、食道及び胃から吸引されたものと考えられ、右事実をもって気管にミルクが多量に存在しその結果窒息したとの裏付けとすることはできない。そして、右と同様の理由により、NICUで行われた鼻口腔吸引も気管内に存在する物質を吸引するものではない(証人千葉力の証言)から、別表2記載の鼻口腔吸引量は、気管内に存在したミルクの量を示すものではなく、ミルクの誤飲による窒息であることの根拠とはならない。

また、ミルクの誤飲による窒息であると判断するためには、気管及び肺に多量のミルクが存在していることと、ミルクの性状として細小泡沫が含まれていることが必要である(証人千葉力の証言)ところ、千葉医師が気管カテーテルで吸引を行ったときには、ミルクと思われる少量の分泌物が吸引されており、また、NICUにおいて気管吸引をした結果が別表2記載のとおりであったことは既に認定したとおりであるが、吸引されたミルクに細小泡沫が含まれていたかは不明であり、また、本件事故後、佐々木助産婦が一郎を新生児室の保育器から出して抱いて同室の吸引処置の器具のあるところへ、次いで分娩室内のインファントウォーマーまで移動し、デマンドバルブによる酸素吸入を行ったり、鼻口腔、食道及び胃から吸引を行い、心臓マッサージという蘇生処置を行っており、さらに産婦人科の新生児室からNICUへ一郎を移送している。このように患児の移動や蘇生術を行った場合には、鼻口腔や胃にあったミルクが気管に入ることがある(<書証番号略>、証人千葉力の証言)。しかも、本件では剖検が行われていないため一郎の気管内や肺の中に存在したミルクの量や範囲が明らかではないことからすると、右の千葉医師が行った気管カテーテルによる吸引ないしNICUにおける気管吸引の結果をもって、一郎が本件事故前において窒息するほどの量のミルクを誤飲したものであるということは必ずしもできない。

さらに、千葉医師作成の退院要約(<書証番号略>)における逆流したミルクを肺の方に吸引した可能性もある旨の記載については、千葉医師としては、当時後述の乳幼児突然死症候群(SIDS)についての知識が全くなかったわけではないが、不十分なものであり、その後SIDSに関する文献等をいろいろと読んだ結果、現在では本件事故の原因は不明であり、一郎の死因はSIDSではないかと考えていることが認められる(証人千葉力の証言)。

(三)  乳幼児突然死症候群(SIDS)については、<書証番号略>によれば、一般に、昭和五九年三月の厚生省心身障害研究乳幼児突然死研究班の「乳幼児突然死(SIDS)」に関する研究報告書に基づき、「それまでの健康状態及び既往歴からその死亡が予測できなかった乳幼児に突然の死をもたらした症候群」と定義されており、剖検がなされたかどうかにより広義のもの(剖検がなされていないものも含む)と狭義のもの(剖検によっても原因が不明なもの)とがあり、その発生頻度はSIDSに関する認識の程度によって報告に相違があるが、次第に多くなってきているところ、未だその原因については解明されていないところではあるが、SIDSが発症した場合には、その死因を究明し予防対策を確立するためにも剖検により診断を確定する必要があるといわれている(<書証番号略>)。

そして、現段階においては、気管内にミルクが認められた場合、死戦期の吐乳がたまたま気管に入ったに過ぎないのか、それとも誤って気管に入ったために窒息したのかの判断は、剖検が行われた場合でも、剖検に基づいた気管内のミルクの量や肺組織所見を始め、いくつかの窒息死の所見を慎重に考慮して判断する必要があり、その結果、積極的に窒息死を肯定できるような所見がなければ、狭義のSIDSの範疇に入れて差し支えないとされている(<書証番号略>)。

このように、剖検が行われた場合でもミルクの誤飲による窒息死か否かについては慎重な判断が要求されることからすれば、剖検が行われなかった本件では、気管内のミルクの量や肺組織などの窒息死であることを積極的に肯定できるような所見の有無は不明であり、まだ、本件事故発生前後の状況からしてもミルクの誤飲による窒息というには前述のような幾多の疑問があるから、本件事故がミルクの誤飲によって発生したと認めるに足りないというべきである。

したがって、原告らの、一郎の死因が嘔吐したミルクを誤飲したことによる窒息であることを前提とした主張は、失当である。

三なお、原告らは、被告病院の看護保育態勢が十分でなく、被告病院の医師や看護婦らが新生児室の乳児に対する注視義務に違反したため、本件事故が発生し、その発見が遅れた旨主張するので、この点について検討する。

証人奥山敏夫、同千葉力、同佐々木チエの各証言及び原告春子本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。本件事故当時、被告病院産婦人科には、医師四名、看護婦一六名、助産婦八名の人員が配置されており、看護婦と助産婦は、三交替勤務体制をとっていた。被告病院新生児室は、産婦人科病棟の一角にあり、同科の看護婦がその管理にあたっていた。産婦人科医師は、一日に一回新生児の回診を行っていた。本件事故当時、新生児室には二二人の新生児がおり、佐々木及び浦の二名の助産婦が新生児室を担当していた。右助産婦は、新生児室の構造及び保育器とコットの配置状況からして、少人数で新生児室を安全に管理することができ、同室にいる乳児の状態を把握できる状況にあった。被告病院産婦人科の人的、物的診療・看護態勢は、被告病院と同規模の病院のそれに比肩するものである。以上の事実が認められる。

したがって、本件事故当時、被告病院の看護保育態勢が不十分であったということはできない。

そして、前認定のとおり、一郎は、出生時の体重は二二九〇グラムと軽量であったが、その後の保育経過は順調であり、本件事故当日の午前一一時の奥山医師の回診では特に異常な所見はなく、同日午後四時一〇分に小児科の武部医師が他の新生児を診察した際、佐々木助産婦が一郎を観察したが、異常は認められなかった。

すなわち、本件事故当時まで一郎の容態の急変を予測させるような異常な事情は認められず、一郎をNICUに入院させなければならないような所見はなかった。したがって、被告病院産婦人科の医師及び看護婦(助産婦)において、一郎の容態の急変を予測することはできず、これに備えて一郎に対し常時看視態勢をとる必要はなかった。佐々木助産婦は、同日午後四時三五分、哺乳時刻になったので、一郎を保育器から出そうとしたところ、一郎の異常を発見し、直ちにインファントウォーマーに移し、急を聞いて駆け付けた産婦人科及び小児科の医師と看護婦が処置にあたった。

したがって、被告病院の診療・看護態勢からみて、被告病院の医師と看護婦(助産婦)に乳児に対する注視義務違反や一郎の異常の発見が遅れた過失があったということはできない。

四以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小野剛 裁判官佐藤道明 裁判官田邊浩典)

別表1

淳一の哺乳量一覧表

5日

6日

7日

午前1時30分

母乳

なし

なし

なし

ミルク

20

30

30

午前4時30分

母乳

なし

16

28

ミルク

20

20

25

午前7時30分

母乳

なし

20

4

ミルク

30

10

20

午前10時30分

母乳

5

10

25

ミルク

25

15

30

午後1時30分

母乳

2

2

25

ミルク

30

25

5

午後4時30分

母乳

3

18

ミルク

30

30

午後7時30分

母乳

6

12

ミルク

20

20

午後10時30分

母乳

12

20

ミルク

30

20

(注)単位はccである。

別表2

淳一の気管吸引量及び鼻口腔吸引量

時刻

5:5~

5:30

5:30~

5:55

5:55~

6:00

6:00~

6:30

6:30~

7:00

気管吸引量

L

M

S

S

M

性状

溢血性ミルク

同左

同左

同左

同左

鼻口腔吸引量

L

3L

L

L

M

性状

黄色ミルク

同左

同左

同左

同左

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例